戦後70年平和への道のり、「語り部」に聴く戦争体験の話
7月22日イコーザで、戦後70年の節目となるこの夏に平和の尊さを親子で学ぶ機会にしたいと
思い、ご自身の戦争体験をもとに「語り部」の活動を続けている大和市在住のお二人から
お話をお聴きしました。
お一人目の語り部は、お父さんの仕事の関係で3才の時に満州で終戦を迎えた女性です。
今も鮮明に覚えている引き揚げ船での記憶は、
甲板にまかれた反吐のような食べ物を空き缶ですくって食べたことや、
板を渡しただけの仮設のトイレが海の底に落ちてしまいそうな恐怖でした。
(満州地図)
帰国前後に続けてご両親と祖母を亡くし、長崎の養護施設(向陽寮)で生活しました。
戦後の混乱の中に幼い子供3人を残して逝かねばならなかった両親や祖母の気持ちは
どれ程辛かったかと話されていました。
向陽寮は家庭的な雰囲気を持ち、子供たちは寮長をお母さん、職員を叔父さん叔母さんと呼び、
結婚式には九州から駆けつけ慶んでくださったそうです。
「結婚して、そして子供にも恵まれて私は幸せ・・でも今の世の中は命を尊重することが
少ないのではないかという不安」を繰り返し言われていました。
もうお一人は、終戦末期13歳のころ学徒勤労動員のため学校で勉強する時間を奪われ、
川崎の軍需工場で風船爆弾を作っていた男性です。
風船の中に入れる信管のメッキ作業をしていましたが、それが何の目的かは全く知らされなかっ
たそうです。終戦になり学校に戻れましたが、約一年間の空白があったまま進級したため
授業に追いつくのが大変だったそうです。
「殺人は犯罪、人を殺すことが当たり前どころか手柄になるのが戦争」とも言われ、
「君たちの時代にこんな思いはさせたくない、平和な時代に生きている喜びを感じて欲しい」と
話されました。
今も世界では戦争やテロが絶えませんが、
戦争を体験した人が100人いれば100人の、1000人いれば1000人の
戦争への悲しみや怒りとあきらめ、そして変わらない平和への祈りがあると思います。
当時のことを体験している方はだんだん少なくなります。身近で戦争を知っている方のお話に
耳を傾け、70年前に何があったかを知り、それをつないでゆくことが大切な事と思うお話でした。
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