東日本大震災 被災地スタディツアー
東日本大震災から5年が経過しようとしています。マスコミの被災地の報道も減ってきています。今は、どのような状況なのでしょうか?12月8~9日(火~水)南三陸へ行ってきました。
津波で鉄筋コンクリート造りの渡り廊下がねじれ曲がっています。
津波に襲われる前の大川小学校付近
今の大川小学校付近
見渡す限り何もありません
カキフライは小さなカキをいくつか一緒にして1つのカキフライにしています。
お汁の中にも小さいですがカキが山のようにいっぱい入っています。
板倉構法で建てられた店内は、杉の香りが漂い、木の感触もよく、落ち着ける空間です
津波で生活の術であった牛も牛舎も、何もかもを失った阿部俊幸さん。「そんなに酪農がやりたいのなら、北海道に行けばいい」と言われながらも、南三陸の地で酪農をやりたいと、金融機関からの融資を受けながら、牛20頭の飼育を目指しています
1階部分は、水に浸かりました。
グランドには、仮設住宅が建てられ、まだ多くの人が生活しています。
この場所も津波にのみこまれてしまいました。建設されている防潮堤は、はるか下の方でした。
前方に見える高台に戸倉小学校があったそうです。校長先生の判断で裏の神社に避難し、神社の階段まで水はきましたが、皆無事だったそうです。
漁師さんがカキダルでつくったキャラクター 癒されます
山頂から美しい太平洋と海岸線を一望できます。足元には、雪が
5月中旬には、ツツジが咲き誇りとても美しいそうですが、付近には、ホットスポットで除染された場所もありました。
ここでも、津波が来るまでの40分という時間が生死を分けたそうです。40分あったから、海岸近くの家まで戻り津波にのみこまれた人、そして、40分あったから、避難すりことができた人・・・・・・
昨年も参加された方によると、周りは何もなく周囲が見渡せたそうですが、今回は、盛り土がされており、向こうが見えませんでした。1回参加したから、もういいかなぁ~ではなく、毎年参加することにより、復興の取り組みがわかりますネ
松野三枝子さんの体験談を伺いました(涙があふれてきて仕方ありませんでした)。
1度は、末期がんで死の宣告を受け、また、治療中の志津川病院で津波にも遭いましたが、奇跡的に生還。自分は生かされているのだ・・・・・・と思い、みんなが集まれる場所として、パルシステムからのカンパもあり、南三陸木の家づくり互助会のモデルハウスとしての役割も担っている食堂を開店しました。ランチもワンコインでお腹いっぱい食べて欲しいということで、ご飯とお汁はお代り自由です。
復興にはまだまだ時がかかりそうです。
実際に自分の目で見、耳で聞いたことは貴重な経験となりました。
3月にも東日本大震災 被災地スタディツアーが企画されております。
皆様も、ぜひ参加してみられてはいかがですか。
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