こんにちは
ぽんたです
熱帯夜が続いていますが、みなさま夏バテしていませんか?
ぽんたはすでにちょびっとバテ気味です
今日新横浜で2012ヒロシマ・ナガサキ平和スタディーツアーの事前学習会&結団式に参加してきました。
行くのはぽんたの娘1号です
対象:小学校5年生~高校3年生までの組合員のお子さん
ちょうど今年中学1年
参 加 費:小学生15000円、中学生以上25000円(参加費は実際費用の1/3程度です)
2泊3日でぽんたのナケナシのへそくりでも送り込める
という不純な母の思惑プラス本人も是非行ってみたいとのこと早速応募
無事行けますよハガキが到着したので事前学習会&結団式に参加です
子どもスタディーツアーは広島に行きます。
1945年8月6日AM8:15、日本に住んでいる人ならばだれしもが
広島に落とされた「原子力爆弾(原爆)」を知っていますよね。
でもぽんた自身戦争を知りません。当然娘1号にとってはTVの中の話のような世界なことでしょう。
本や映像で「原爆」を知ってはいますが、広島の被爆体験を聞いたことがありませんでした。
今日は被爆体験DVD観賞と神奈川県原爆被災者の会の方のお話を伺うことができました。
お話しくださった松本さんは高等女学校2年生13歳のときに被災されたとのことです。
「7月17日から学徒動員で工場で働いていました。女学校は爆心地に近くにありました。
6日は電休日(電気が止まる日)だったので、工場はお休みでしたが、
先生が泳ぎに行こうとおっしゃったので工場にいました。
朝から空襲警報が鳴りやまなかったので、泳ぎに行くのは様子を見てからということになり
私は工場内で読書をしていました。」
13歳まだまだ子供ですよね。娘1号と同い年。きっと仕事のお休みで川で泳ぐのを
みんな楽しみにしていたに違いなかったんだろうな~
「友達が”B29が飛んでる。落下傘みたいなものを落とした!!” B29だけならば反応しませんでしたが、
落下傘という言葉に立ち上がったとたん”ぴかっ”と光り、体中にガラスが刺さりました。
今でも傷が残っています。」
夏の朝、いつもと変わらない朝が来るはずだったのに、たった一瞬で数々の命と幸せが奪われたなんて…
「防空壕に逃げ、井戸で手ぬぐいを濡らし、傷口を拭いていたらねっとりとした黒いものが落ちてきました。
初めはガソリンが撒かれているかと思いましたが、それは放射能を含んだ雨でした。」
ガソリンのような雨…想像もできませんが、そんな雨が降ってきたら
「私の1学年下の方たちは建物疎開という作業を爆心地から5~600mのところでしていました。
彼女達はほとんど死亡もしくは行方不明。中には家族のもとにたどりついてなくなった方もいました。」
建物疎開とは空襲により火災が発生した際に重要施設への延焼を防ぐ目的で、防火地帯を設ける為に、計画した防火帯にかかる建築物を撤去する事だそうです。この言葉も初めて聞きました。
疎開と言ったら人が田舎に避難すること??という認識でした
12~13歳の子供たちが親を求めて必死で帰ってくるなんて
話を聞いているだけで涙があふれてきました。
「あれから67年がたとうとしていますが彼女達が生きていたらどうであったでしょう。
私もつらいことや楽しいこともありました。みなさん命は一度きり何があってもまっとうしてほしい。」
最近のいじめの話題と絡めてお話ししてくださいました。
そしてまた世界の人口の中ではほんの一握りの被爆体験者たち。
彼らだけでなく、それを伝え聞いた私たちがさらに広い輪で伝えていかなくてはいけない
ということもお話されていました。
1号はまだ半分お話の世界感ですが、この事前学習会に参加前より
さらに自分の目で見たくなったようです。
ぽんたも最初の動機が恥ずかしくなるくらい
参加させていただける機会を得られたことに感謝でいっぱいです。
原爆資料館見学・平和祈念式参加・ひろしま碑めぐり・灯篭流し・被爆体験のお話などなど
盛りだくさんな行程です。
学生ボランティアさんと16名の仲間たち、そして各生協の方々と一緒に素晴らしい体験をし、
吸収して成長してきてくれたらいいな~
同じ13歳の目にどう67年前の出来事が映ったか、広島から帰ってきたら報告しますね
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