こんにちはぽんたです
かな~り前に娘1号が「2012ヒロシマ平和スタディーツアー」に参加して
帰ってきたこと、お知らせしましたよね
娘1号に「感想書け~」と約1ヵ月間言い続け、夏休みの宿題やら体育祭の練習やらが終り、やっと書いてくれました。
2012年8月5日~7日の2泊3日で広島に行っていました
神奈川ゆめコープの組合員のお子さんとコープかながわの組合員さんのお子さん総勢16名
それに神奈川大学の学生さんたち4名、事務局の方々など大所帯です
大学生を班長に4班に分かれての行動。娘1号の班名はなぜか「なめこ」???
8月5日
9:00
新横浜2階で集合
娘1号の班長さんは歯ブラシ忘れて自宅を往復したそうです
家が近くてよかったね~
9:29
新幹線のぞみ19号で広島にしゅっぱ~つ
車内でお弁当「しゅうまいが美味しかったよ~」
13:05
広島に到着
娘1号の感想は「もわ~んと暑かった」だって
大きな荷物はホテルにおいて市電に乗り、班ごとに分かれ、さ~勉強スタートです
5日
日本生協連・広島県生協連主催のヒロシマ虹の広場、平和記念資料館見学
戦争・原爆・平和の大切さを噛みしめてきたみたい
6日
広島平和記念日、皆さんもNHKなどの生中継を見られたのでは子供たちも式典の話を聞き、黙とうをささげました
さまざまな人種の方たちが平和を願い、同じ気持ちで、同じ会場にそして亡くなった方たちに黙とうをささげる。
67年という月日だけでなく、さまざまな努力で大きな悲劇・憎しみを乗り越え、ともに平和を願うことができるようになったんですね~
子供のうちに体で、空気で触れられたのはとても素晴らしい経験だったと思います
普通に広島に行って原爆ドームを見るのではなく、人々の生の思い、今の思いに触れられるのは
8月6日原爆投下日に式典を聞けているからだと思います。
その後「しげるくんとまっ黒なおべんとう」の劇を観賞。
お母さんに作ってもらったお弁当を食べることなく亡くなった中1の男の子の話。お弁当をしっかり抱えてなくなっていたそうです。
中身はその年初めて収穫された作物で作ってあったそうで、食べるのを楽しみに出かけたそう
どんなにか大事だったんだろう…娘1号と同い年の男の子。
平和記念公園内にある様々な碑めぐり。碑めぐりガイドさんによる説明つきです。
様々な犠牲者の碑があった中、娘1号の心に残ったのは 「原爆慰霊碑」
捕虜として広島にいた原爆を落とした国アメリカの犠牲者の名前もあるということに感動したそうです。
戦争という悲しい戦いの中では「敵」でも被害者には変わりないという考え 平和には必要ですね
「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は祖国韓国に向かって立っているそうです。
この日の夕飯は広島名物「お好み焼き」麺が入っていて卵焼きがのっていてソースたっぷり
「すっご~くおいしかった」だって いいなお勉強のご褒美ね
暗くなってから慰霊の灯篭流し。
何を書いたかは「ないしょ」だって
7日午前中
被爆体験を聞いたそうです。
原爆投下時は強い光と音で何が起きたか分からなかったそうです。
「気が付いたら一面焼け野原だった…崩れた家屋から助けを求める声がしたけれど助けられなかったのが今でも忘れられない」
67年間もたった今でも鮮明に覚えていらっしゃるとのこと。悲惨な記憶を忘れられないというのはなんて悲しいことでしょう
広島駅で班ごとにお昼を取り、お土産を購入家族にはもみじまんじゅう 妹・娘2号にもキーフォルダーをお土産
さぁ~広島ともお別れ
14:37
のぞみ36号で新横浜へお昼寝することもなく、おしゃべりの嵐だったよう周りの皆さんごめんなさい
18:14
無事到着
仲良くなった仲間ともお別れ次会うのは8月25日の報告会だね
ぽんた旦那さんが横浜勤務のため、お迎えに行ってくれましたありがたいね~
帰宅後第一声は「ママ来年も絶対行くからね~申し込んでね」とのこと
行きよりも重くなって帰ってきた旅行かばんこの中はお土産はもちろん、たくさんの思い出とたくさんの学習してきたことが詰まっているんだね送りだしたときよりも成長を感じました
さてさて当事者娘1号の感想です。そのまま記すので言葉や言い回しなどは許してくださいね
「今回、私はこのヒロシマ平和スタディーツアーに参加してよかったと思います。理由は2つです。
1つめは原子爆弾について分かったことです。
はじめは、原子爆弾が広島に落ちたという事実に対してよく考えたことはありませんでした。
私が知っていたのは、8月6日に原爆が広島に落とされたということだけでした。
しかし、実際に行ってみて私はとても驚きました。昔、被害にあっているというのにそのような面影が見えなかったからです。
広島には記念碑がたくさん建ててありました。それは原爆に関するものばかりでした。
どんどん調べていくうちに1945年8月6日午前8時15分に落とされたことや
落とされた原因は日本が先にパールハーバーへ攻撃したからだということを知りました
日本が先に戦争を仕掛けていたということがショックでした。
落とされた爆弾がリトルボーイというウランを使った威力の高いものだということも知りました。
一瞬にして、人や建物を焼きつくしてしまったと聞き、驚きそして悲しかったです。
人の作ったものによって、人や建物が焼きつくされるのはなんて残酷なんだろうと思いました。やはり、原爆はあってはならないものだと思います。
ですが、原爆について知ること出来てよかったです。
2つめは、友達が増えたことです。
初めて会った時は「なかよくまわれるかな。」とドキドキしました。しかし、思っていたよりも早くうちとけられました。
廻ったり、調べたりするのもずっと一緒だったので、短い間でしたが、メンバーの特徴をつかむことができました。
付き添いで来てくれていた大学生のみなさんとも仲良くなることが出来ました。
広島で廻っていた時や寝る時いろいろとアクシデントもありましたが、友達が増えてとても楽しかったです。
そして、原爆についてたくさんのことを知ることができ、とてもよかったです。また来年も行きたいと思います。」
8月25日の報告会では大人ツアーの長崎での話も聞くことができました。数週間ぶりの再会はうれしかったようです。
このツアーに娘を参加させて本当に良かったぽんた自身、実は広島の原爆ドーム見たことがないんです
これだけ娘を変えた広島にぽんたも行きたいな~
でも歴史は消すことはできないし、巻き戻せない。だから今を大切に、間違った選択をしないようにしないと
だんだん被爆体験者、戦争体験者が高齢化になり生の声は聞けなくなるでしょう。
そんな今、生の声を13歳という多感な時期に聞かせてもらえたことは彼女にとって宝になるはず。
今回感じた純粋な気持ちをこのまま持ち続け、平和というパズルのピースの一つになってくれたらと思います。
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